底辺
こんちゃ。呑み過ぎで胃が痛い佐々木です。三十路過ぎてるんでテキーラの連続一気飲み大会とか辞めた方がいいと思う今日この頃。

ぼちぼちと色々と思った事をもうチョイ書こうかな、って感じでブログ書きます。今回は「底辺」なんてことに関して考えた事、思った事をつらつらと書きます。

まあそもそも底辺の基準って何よ?って難しいですが再生数三ケタなら底辺なのでしょうかね。大体認識的にはそんな感じだと思います。ちなみに1000再生オーバーが全体の18%らしいです。「底辺」と呼ばれる、もしくは「底辺」と自嘲するボーカロイドPというのは全体の80%くらいいる計算に。

まあなので逆に言うと「底辺」っていうのはマジョリティです。別に再生数が低いからといって悲観的になる必要は無いでしょう。ある意味ノーマルです。ただですね、僕達は再生数が少ない楽曲のピックアップなんかもしておりますしですね、「底辺」という捉え方というか全部再生数で判断してしまうのってちょっと問題なんじゃねえかな、って思う事があるんですね。

「底辺」を分別したい

えーと、底辺つってもですね、いろんなスタイルの底辺が有りますよね。ざっと上げると二種類じゃないかなあと思います。

  • 品質が低い。聞くに堪えない。
  • 品質に問題無い。音楽性が特殊。

まずですねえ、品質が低いっていうのはこりゃ仕方無いと思うんですよね。ぶっちゃけ音楽を作ってそれなりの品質で提供するっていうのは結構大変な作業だと思うんですよ。なので曲がダメ、MIXもダメ、マスタリングもダメ、動画もダメ、って言う状態ですとこりゃ中々再生数上がりませんよね。

ただぶっちゃけ色々と見ておりますと「サムネ>動画>曲」くらいの評価基準の様な気がしますから意外と音は関係ないかも。みんな知ってるよーな有名Pの曲ですらぶっちゃけおいらは内心「テラMIDI乙!!」とか思っちゃうことありますし。それにユーザーの再生環境がイヤホンだったりPC内臓スピーカーだったりなどなどの可能性が高そうですからあんまり音質は判断基準にならない様な。

二番目の品質に問題無い層も再生数が伸びない方多々いますね。これはですねえ、見たところサムネが非常に地味だったり絵だったりなんだりの媚び要素が無い場合に発生しやすいパターンですよね。

あとこういった動画を作りがちな方というのはある意味非常にマニアックな路線だったりする事も多々。ニコニコ動画のリスナーの大半は中学生というデータもあるようですし、リスナーと感覚を共有出来ない場合再生数は余り伸びないのかもしれないです。

個人的に二パターン目の人は好きなんですよね。むしろ支持されている人気路線の物と同様に得る事が多いですよね。んでこの二つの「底辺パターン」をなんとか分別する方法は無いのかなと。

んでやっぱりタグで解決できんじゃねえかな、なんて思ったりもするんですがね、仮にじゃあ「VOCALOID UNDERGROUND」なんてタグを作ったとしますよ。でもコレって前者の「低品質」の方も自分でタグつけちゃいそうで結局分別ってできねえのかな?とか思ったり。

まあそんな感じでとってもモヤモヤしちゃうんですよね。

そもそも「底辺」っていう呼び方辞めないか?

物を作っている人は本気な訳ですよね。なので「底辺」って呼ぶのってすんごい失礼だし、自分で「底辺」を名乗るのってすんげー悲しい事だと思うんですわ。人気が出ないつってもそれがダメって事になってしまえばこの世の映画は全部ハリウッド映画しか必要ないっつうかミニシアター系とか絶滅すればいいや、って感じですし、日本の音楽はJ-POPしか必要ねえ、とかそういうレベルの話にもなっちゃいますしね。

まあそんなこんなで「頑張っているが中々数字が伴わない」という現実に対してもう少し面白くてハッピーな捉え方はねえもんかなと。なんていうかボーカロイド音楽のシーンてのは日本がほんとに独自の文化を築く事が出来た近年まれにみる例だと思うんすわ。

そういう面白いシーンの中で80%が「底辺」ってオイ!って感じですよね。まあ何が言いたいかっていうとさ、物を作る気合はそぐべきじゃないし、楽しんでやらなきゃいけないのに人気ばっかり気にしててつまんなくなるのは嫌だし、何よりもかによりも「絶対に誰か一人は解ってくれるはず」ってことなんですよね。

だって自分で底辺名乗っちゃったらその曲を聞いて「良かった」とかコメントしてマイリス登録した人に対してすんげー失礼じゃね?って思うんです。そんなこんなでこーいう事を考えるとちょっと悶々としてきますね。

(TEXT BY 佐々木)